ネット社会で思うこと

私は50代後半のおばさんなのだが

これからはスマホが使えないと時代についていけないと思って2年前にガラケーからスマホに変えた。

そしたら毎日ネットサーフィンばっかりするようになった。

読書が趣味だったのに1冊も読まなくなった。

 

今までテレビやマスコミを盲信してまんまと誘導されていたことがわかった。

偏向報道、情報操作は当たり前、捏造も平然と行われていることに唖然とする。

 

若い人達がマスコミを信用しないでネットで情報収集していることは本当によろこばしいことだ。日本にまだ救いがあるってことだ。

 

それにしても、毎日毎日くだらないことばっかり垂れ流しているテレビに辟易する。

もっと考えなくてはならないことがあるのに。

少子化、超高齢社会、世界情勢…

明日の日本に関わることは自分にも無関係ではないのだから、目をそらさずにちゃんと考えてみなくてはならないと思う。

 

まともなテレビ局を新しく作るべきだ。

 

急に暑くなって体調不良な母

今日は急に気温が上がり、2階の部屋の温度がどんどん上がって29℃以上になったので慌ててエアコンをつけた。

夜ごはんが済んで、ベッドに連れて行こうとしたら珍しく「食べ終わったけど、まだ立ちたくない。」と母が言うのでそのまま椅子に座らせていた。

「寝てるより座っていたほうが楽」と言って座っていた。

母が自分の意思を言ったのは久しぶりのことだ。自分から話すことも意思を表示することも殆どなくなって、私の指示に従うだけの母。もう自分から意思を伝えることはないんだと思っていたのでちょっと嬉しくなった。

でも、寝てるより座っているほうが楽って…

 

小さなテーブルを挟んで向かい側に座っている母の顔を見ながら、ボケているのかどうかあやしい母の表情に悲しくなった。

レビー小体性認知症は発病してから平均10年で亡くなるってネットに書いてあったけど…

思い起こせば「さっき突然お父さんが部屋に入ってきて私の足を掴んだ!」と、絶対にあり得ないことを言い始めてからかれこれ7~8年になる。

あと2~3年で母が亡くなってしまうかもしれないと思うと悲しさと不安でいっぱいになる。

今ここに一緒にいる母はもうとっくに昔のシャキッとした母とは別人になってしまっているけど…でもやっぱり母がいることが私の励みになっている。

母が亡くなってしまったら私はどうなるのかまだ全然想像がつかない。

 

介護から解放されてほっとするだろうと思っていたけど…やっぱり大ショックを受けて落ち込むかもしれない。

 

とにかく、まだまだ生きていてほしい。

もうとっくに頭も壊れて体も弱っている母にまだ生きてほしいと願うのは酷なことなのだろうか…

 

レビー小体認知症の母

今週のお題「おかあさん」にちなんで日記を書いてみようと思う。

私は母の介護をして母の年金で生活している50代後半のおばさんです。

数年前に父が亡くなり母と二人だけの生活になった。

母が介護認定を受けてからかれこれ5年以上になる。要介護2から始まり、今は要介護4になった。

母と私はお互いに依存しあう共依存の親子だった。過干渉で威圧的な母に反抗できず、また母に聞かないと何ひとつ自分で決められない私。
私の結婚を決めたのも母、離婚を決断したのも母だった。

結論から言えば、離婚して良かったと思う。幼い娘を連れて実家に戻って以来、父も母も私の娘にわが子以上の愛情を注いで育ててくれた。
そんな娘も今は2児の母となり、私とは真逆で夫婦円満幸せいっぱいの生活を送っている。

母がレビー小体認知症だとわかったのはつい最近のことだ。
きっかけは、食事の時に大量の汗をかくようになったので私がネットで調べたら出てきた病名だったこと。
その後お風呂場で気絶したため主治医に診てもらったらレビー小体認知症の疑いがあると言われた。

この認知症の特徴は、幻視や幻聴があることと、健常な時とボケた時があることだ。
実際、私の娘が来て介護すると至って元気に従うのに私が介護すると全然歩けない従えないということが度々あり、私はてっきりわざとだと思って腹が立った。
さっきできたことが今できないとか、ふざけるな!と思ってイライラし、どんどん私のストレスがたまっていた。

でも今までの全てのことがレビー小体認知症の症状だったと知り、母に対する怒りがいっぺんに吹っ飛んだ。
むしろ知らなかったとは言え強く叱りつけたり罵倒したりした自分が申し訳なくて、最近は母に優しく接するようになった。

「孝行したい時に親はいない」と言われるが、私の場合は孝行したいだけできたと思うし、謝りたいと思った時に謝れる。優しくしたい時にできる。
そして少しずつ少しずつ、母は昔の母ではなくなってどんどん手がかかるようになった。
もしもっと早くに大好きな母があっけなく死んでしまっていたら、私はずっと悲しみから立ち直れず苦しんで生きていたと思う。
世話がかかる介護の毎日を送ることで、少しずつ母への依存心も執着心も愛情さえも薄れていくのを実感するようになった。
いつか母が亡くなったら安堵と感謝の気持ちで笑顔で見送れる気がする。

これこそが母が私にくれた最大の愛なのではないか?と思うのである。
お母さんありがとう。あなたは最高に娘思いの母親だよ。

木の芽時

春は木の芽時と言う。
木の芽時には気分が躁になりやすいようだけど
私は逆に憂うつな気分になってきています。

世の中は春の気配にワクワクウキウキしているというのに、私の生活は…

最近の母は便意を感じなくなってきたようで、
トイレ行く?と聞いても行かないと言うばかり。
大便も私が臭いで感知して「出たの?」と聞いても「出てない」「してない」と言う。でも紙パンツの中にドッサリ。
以前は出た自覚があったのに今はもうなくなってきたみたいだ。

母は下剤を飲まないと大便が出ない。が、下剤を飲んだら下痢便になる。
食事の量を考えて1日か2日おきに下剤を飲ませるので、その度に翌日は下痢便の始末をしなくてはならない。
こんなこと、身内でないとやってられないと思う。
私が母を介護施設に入れない理由のひとつでもある。
介護職員の方はいくら仕事とはいえ、他人の婆さんの下痢便を毎度毎度処理するのは耐えがたいだろうと思う。

私でも嫌になる。鬱になる。
けれど下剤を飲まないと全く出ないから飲まさざるをえない。
下痢便は1回で済まないので出る日は1日中下痢便の始末に追われる。
どんどん気分が落ち込んで行く。

今日は下痢便の日だったので気分は最悪。でもまあ、シーツや服を汚さなかっただけ良しとしなければ。

本当に、しゃきしゃきしてきれい好きだった母が懐かしい。もう二度とあの頼もしい母には会えない。悲しい。

「本当に、わからないのよ…」
珍しく母がしゃべった。
何がわからないのか聞いたら
「あんな高い所から、こんな低い小さい便器にオシッコが入るわけないでしょう?」
と言った。
誰のことか聞いてみたらわからんと言った。
何のことやねん。誰のことやねん。
はあ…

今日も1日が終わる。
毎日がむなしい。

春が近づいてきた

今日はとても暖かい1日でした。
最高気温が12℃でした。
春が近づいてきた感じがします。

デイサービスの担当者さんと母のケアマネージャーさんから電話があり、来週から週に2回デイサービスに行くことになりました。
母には言っていません。

最近は食事の時に「ばっかり食べ」をするようになりました。
おかずの一皿をそればっかり食べて、ご飯も食べるように言っても理解できない顔をします。
私が一口ご飯を食べさせると今度はご飯ばっかり食べます。
急に食べるのを止めたかと思うと、しばらくしてまた食べだすし
今日はテーブルの上にあった布巾を手に取ったかと思うと、突然それで鼻水を拭きました。
しょっちゅう鼻水が出ているのですが、母の左手のすぐ横にティッシュの箱を置いてあるのに

母がだんだんボケていくようで悲しいです。
会話も殆どなくなり、私が一方的に話しているだけです。
時々私が耐えられなくなって自分の感情がコントロールできなくなりそうになるのですが
そんな時は娘にメールしたり来てもらったりします。

会話が通じる相手と話すことは大事だなと思います。

一人暮らしで誰とも話すことがなかったら辛いと思いますが、話が通じない相手とずっと二人きりというのも大変です。
育児ノイローゼになるお母さんの気持ちがわかる気がします。
ですが、育児には未来があるし子どもは成長する過程にあるのに比べて、介護は先が見えないしその先にあるのは親の死です。

でも、私は介護ができて感謝します。
もしも母が急に亡くなったら絶対に耐えられなかったと思います。
徐々に衰え、介護を必要とし、気づいたらここにいるのはもう昔の母ではないのです。母だけど母ではない…
そして母の介護を続けた後に亡くなる時がきたら、悲しみと同時に安堵感もあるんじゃないかと思います。
そんなふうに母との別れが訪れたなら、悲しみにうちひしがれることもないから
介護する時間を与えてくれた母に感謝です。

デイサービス

今日は母のデイサービスの日でした。
週に1回、家から近い所にある施設に行ってもらっています。
母は要介護4で、トイレにも一人では行けません。向かい合って両手を持って私が後ろ向きで歩く形で母を介助します。

デイサービスに行く目的は身体の維持、体力の維持です。
家では殆どベッドに寝たきりで、どんどん筋力が落ちるし、私に頼り過ぎて自分で何もやろうとしないのですが
デイサービスではずっと椅子に座っているそうです。
折り紙や塗り絵など、自宅では絶対しないことを黙ってやっていると聞いてびっくりしています。
筋力維持だけでなく頭の体操にもなって本当にありがたいです。

でも他の利用者とコミュニケーションが取れないようです。ボケているせいなのかそれとも内向的な性格のせいなのか
母は終始無言のようです。
帰宅しても何も話してくれません。

はじめはデイサービスに行くのをすごく嫌がっていましたが今では無表情無反応で私に言われるまま素直に行くようになったので、それだけ理解力が衰えているのだと思います。

今日は施設の担当者の方から週に2回来られてはいかがですか?と言われました。
最初はとにかく嫌がっていたので週に1回だけ修行のつもりで行くように何とか説得して、渋々承知した母でしたが
今はもう曜日もわかっていないし週に何回行っているかなんてわからなくなっていると思うので、週に2回行ってもらいたいです。というのは週に1回だと次に行くまで間があり過ぎて、筋力が維持できないように感じるからです。
また、体調が悪くて1回休んだ場合は2週間あいてしまうため、一気に体力が落ちる気がしたし
母にとっても週に2回のほうが体が慣れて楽に歩けるんじゃないかと思います。

寝たきりになるのを少しでも遅らせるには週に2回は行ってもらいたいです。

介護生活

母の介護をしながら、母の年金で生活している無職のおばさんです。
あと数年で還暦なので、母が亡くなってしまったら仕事に就かなければならないけど…働けるのか?不安でいっぱいです。
でももしかしたら母は百歳まで生きるかもしれないし、先のことはわからないのであれこれ悩まずに毎日に感謝して生きています。

これまでの私の人生は、なぜか(多分両親のおかげ)あまりお金で苦労したことがなかったので、きっとこの先も何とかなると思います。
お金持ちでも裕福でもないけど、質素な生活はできるので本当に私は幸せ者だと思います。

私は旅行とかレジャーが好きじゃないので浪費といえばネットショッピングぐらいです。
ストレスがたまるといっぱい買ってしまうので、その癖はなおさねば。いつも娘に叱られます。

今日も1日、外出もせず母の横のベッドで寝っ転がっています。
風邪をひいたので頭が痛い。早く治したいです。
ああでもGS に灯油を買いに行きたいんだった。
我が家はオール電化なのですが、冬の暖房はやっぱり石油ストーブです。
ストーブの上にヤカンを乗せて、お湯が沸いたら母の湯タンポのお湯を替えます。
シチューや野菜スープなどもストーブの上で作ると母の歯茎でも食べられるほど野菜が軟かくなるので重宝しています。
万一停電になってもストーブは大丈夫なので1台あると安心です。

石油ファンヒーターもありますが、これは本当に寒い日に一気に部屋を暖める時とお風呂に入る日に脱衣所まで暖める時に使います。

エアコンはどうしても乾燥して喉を痛めるのであまり使っていません。
オール電化で深夜の電気料が安いのですが、逆に昼間の電気料が高額のため昼間はできるだけ節電しています。

みいばあのオススメ⑤
オール電化
これからどんどん高齢者の一人暮らしや高齢者夫婦の家が増えていくと思いますが、そうなると一番心配なのは火事です。
IHコンロだと消し忘れて火事になる心配も衣服に燃えうつる心配もありません。掃除や手入れも楽だし
一番気に入っているのはお湯がまろやかなこと。
設備にお金がかかると聞きますが、その分長持ちすると思います。灯油やガスの給湯器よりはるかに長持ちします。
それから災害時にはタンクのお湯が使えるのも良いと思います。

電気料を安くしようと思うと早朝か深夜にお風呂や洗濯をしなくてはならないのがちょっと大変ですが…

近い将来、隣近所の老夫婦の家が火事を起こすのではと心配なので
IHコンロをもっと普及させてほしいと思います。
電磁波の心配も確かにありますが…あんまり料理もしなくなるのでは?