レビー小体認知症の母

今週のお題「おかあさん」にちなんで日記を書いてみようと思う。

私は母の介護をして母の年金で生活している50代後半のおばさんです。

数年前に父が亡くなり母と二人だけの生活になった。

母が介護認定を受けてからかれこれ5年以上になる。要介護2から始まり、今は要介護4になった。

母と私はお互いに依存しあう共依存の親子だった。過干渉で威圧的な母に反抗できず、また母に聞かないと何ひとつ自分で決められない私。
私の結婚を決めたのも母、離婚を決断したのも母だった。

結論から言えば、離婚して良かったと思う。幼い娘を連れて実家に戻って以来、父も母も私の娘にわが子以上の愛情を注いで育ててくれた。
そんな娘も今は2児の母となり、私とは真逆で夫婦円満幸せいっぱいの生活を送っている。

母がレビー小体認知症だとわかったのはつい最近のことだ。
きっかけは、食事の時に大量の汗をかくようになったので私がネットで調べたら出てきた病名だったこと。
その後お風呂場で気絶したため主治医に診てもらったらレビー小体認知症の疑いがあると言われた。

この認知症の特徴は、幻視や幻聴があることと、健常な時とボケた時があることだ。
実際、私の娘が来て介護すると至って元気に従うのに私が介護すると全然歩けない従えないということが度々あり、私はてっきりわざとだと思って腹が立った。
さっきできたことが今できないとか、ふざけるな!と思ってイライラし、どんどん私のストレスがたまっていた。

でも今までの全てのことがレビー小体認知症の症状だったと知り、母に対する怒りがいっぺんに吹っ飛んだ。
むしろ知らなかったとは言え強く叱りつけたり罵倒したりした自分が申し訳なくて、最近は母に優しく接するようになった。

「孝行したい時に親はいない」と言われるが、私の場合は孝行したいだけできたと思うし、謝りたいと思った時に謝れる。優しくしたい時にできる。
そして少しずつ少しずつ、母は昔の母ではなくなってどんどん手がかかるようになった。
もしもっと早くに大好きな母があっけなく死んでしまっていたら、私はずっと悲しみから立ち直れず苦しんで生きていたと思う。
世話がかかる介護の毎日を送ることで、少しずつ母への依存心も執着心も愛情さえも薄れていくのを実感するようになった。
いつか母が亡くなったら安堵と感謝の気持ちで笑顔で見送れる気がする。

これこそが母が私にくれた最大の愛なのではないか?と思うのである。
お母さんありがとう。あなたは最高に娘思いの母親だよ。